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神奈川
神奈川県(かながわけん)は関東地方の南西端、首都・東京都の南に位置する県である。東京のベッドタウンとしての役割の担いながらも、沿海部川崎市、横浜市は京浜工業地帯を形成している。相模湾に面した古都・鎌倉市も有名である。東京湾に面した横須賀市は戦前から日本最大級の軍港であった。
「かながわ」の名は、昔、神奈河、神名川、上無川などとも書かれてきたが、これらが変化して神奈川になったと言われる。
「神奈川」が県名となったのは、横浜開港に伴い、安政6年(1859)に 「神奈川奉行所」を置いたことによる。そして、明治元年9月に神奈川県となった。
東は東京湾に面し、西は丹沢山塊で山梨県、東京湾アクアラインを介して千葉県、箱根山地で静岡県と接する。南は相模湾に面し、三浦半島が太平洋に突出する。県域は大きく東部丘陵地帯、中央部低地帯、西部山地帯に分けられる。多摩川下流で東京都と分けられるが、中流部では東京都に属する多摩丘陵地区が多摩川以南に張り出す。
歴史
県内に旧石器時代の遺跡は少ない。縄文遺跡は、県内全域にわたって多く見られる。弥生遺跡は、少なく、質も劣る。これは、弥生文化の進出が遅れたことを示すものと考えられる。古墳の出現は畿内に一歩遅れた4世紀の中頃ないし後半とされる。
安閑天皇のとき、橘樹郡・久良岐郡に屯倉が設けられる。当時は、天皇家・大和の豪族勢力と、在地土豪が対立していた。
5世紀前半には、在地土豪が大和朝廷に服属。相模川流域に相武(さがむ)国造、酒匂川流域に師長(しなが)国造、鎌倉・三浦付近に鎌倉別が任命された。
神奈川県は令制国の相模国全郡及び武蔵国久良岐郡・橘樹郡・都筑郡(現在の川崎市および横浜市)からなる。武蔵国の国府は現在の東京都府中市にあった。相模国の国府は、はじめ海老名に置かれ、後に移された。移転先の所在地は、はっきりしない。大住郡や余綾郡にあったとも言われる。
延喜式内社としては足上郡に寒田神社、余綾郡に川勾神社、大住郡に前鳥神社、高部屋神社、高座郡に寒川神社(名神大社)などが鎮座する。
古代朝廷は、相模の国人を陸奥に送って蝦夷と対させ、畿内からは高麗人(こまびと。高句麗からの渡来人。)を移して外来の技術を広めた。
古代から中世にかけては、住人の富者が開墾地を広げ貢納物資の輸送にあたるなどしてさらに富裕となり、これを守るための自衛武力を蓄える。中央から相模・武蔵に派遣された役人の土着が相次いだ。
中世には鎌倉に初めて幕府が開かれ、武家政治の中心となった。(鎌倉時代)
戦国時代には小田原を拠点とする戦国大名北条氏が興り関東一円を支配した。
江戸時代には小田原藩が存在したが、旗本領も多く、三浦按針(ウィリアム・アダムス)が徳川家康から三浦半島に領地を拝領したことは有名である。
神奈川県の名は東海道筋に古くから栄えた宿場町・神奈川宿(現在の横浜市神奈川区)に由来する。江戸幕府は日米、日英通商条約で神奈川宿を開港場とすることを約したが、実行段階になって神奈川宿のような繁華な場所に外国人を雑居させれば、攘夷騒動などのトラブルが起こることを懸念し、街道筋から離れた横浜村(現在の神奈川県庁付近)に開港場を開設した。これは条約違反であったが、幕府は横浜は神奈川に含まれると強弁した。このため神奈川の範囲が拡大され、明治政府もこれを受け継いで、横浜を含む神奈川県が成立した。(この項、佐野真由子「オールコックの江戸」中公新書参照)
近代には開港場・横浜を中心として発展を遂げ京浜工業地帯が形成されたが、1923年の関東大震災では大きな被害を受け、第二次世界大戦でも1944年以降横浜市を始めとする沿海都市が激しい空襲や艦砲射撃を受けた。
東京湾の入り口を制する横須賀市は戦前から日本海軍最大の軍港であり、戦後もアメリカ海軍第七艦隊司令部や海上自衛隊自衛艦隊司令部が置かれている。神奈川は以外に米軍の基地が多く、座間市から相模原市に広がるキャンプ座間、綾瀬市、大和市、海老名市に跨る厚木海軍飛行場、相模原の相模総合補給厰など多くの米軍関連施設が存在する。9/11の時は各施設に厳戒態勢が引かれた。 |
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